フランク・ステラ、篠原有司男、母里聖徳 - 鉄の街、北九州の磁力に引かれた作家たち
黒岩恭介

今回の鉄鋼彫刻シンポジウムに参加したアーティストは三人である。鉄という北九州にとっては魔法の呪文であり呪物である素材に吸引されたという以外に、どう考えても接点を持たない三人のアーティストが北九州に来て、その鉄を素材とする彫刻作品を作り上げた。一人はニューヨークを拠点に、アメリカ、ヨーロッパ、そしてアジアを舞台に活躍している国際的アーティスト、フランク・ステラ。一人は1969年以来ニューヨークに移り住んでいるが、60年前後、日本の前衛美術運動に深く関わり、読売アンデパンダン展を舞台に派手なアクションで一世を風靡したアーティスト、篠原有司男。一人は前回同様今回のシンポジウムの仕掛け人でもあり、地元で鉄を使った作品を発表し続けているアーティスト、母里聖徳である。

当初のシンポジウムのコンセプトとしては、鉄の3つの処理方法、すなわち鋳造、鍛造、溶接という技術面に注目し、3作家にその中の一つの処理法を割当て、それを主として用いた鉄鋼彫刻をそれぞれ制作してもらうというものだった。母里が鍛造、ステラが鋳造、篠原が溶接という筋書きを描いていたのである。ところが何事もうまくは行かないもので、母里だけはコンセプト通り鍛造がメインであったが、篠原にしてもステラにしても、少し事情が違ってきた。篠原は切断と溶接が主には違いないが、彫刻作品の主役たち、すなわちケンタウロスもウサギとカエルもこれは鋳造でできている。ステラの場合はさらにひどく、鋳造部分はニューヨークから運んできた小型の彫刻があるばかりで、本体はまったく使われていない。骨格部分が鍛造、それにスクラップを組み込むときが溶接なのであった。しかし無理にこじつければ、最後の作業として行なわれたステンレスの溶湯のポーリングが、鋳型のない鋳造といえばいえる。この場合砂の上に流れ落ちた溶湯がそのまま形として残り、作品にダイナミックな独特の表情を与えることになった。

それはさておき三人とも制作の現場は北九州市の巨大な工場であった。ステラと母里は八幡製鐵所の構内にある日本鋳鍛鋼鍛造工場。ここで両者とも世界一の規模を誇る8千トンプレス機を使って制作した。母里は三段かさねにした直方体の熱く焼けた三つの鉄塊を、上から下へと一方向に向かうプレス機の巨大な圧縮力を利用して押しつぶした。そしてそのとき作品はほぼ完成したのである。コンセプトは明快であった。互いに交差するように重ねた熱い鉄塊を圧力によって変形させ作品化するというコンセプトである。どう変化するかはほぼ予測ずみであり、他の素材でも実験可能である。前もって図示することもできた。しかし圧倒的な大きさと文字どおりの熱気を伴う作業には計算を超えた何かがあった。その醍醐味がこの作品の取り柄だろう。熱が冷めた後、圧縮によって互いに噛み合った部分を溶接し、用意したもうひとつの直方体の鉄塊を台として利用し、その上に頭でっかちぎみに作品を鎮座させ、西区の穴生学舎前に設置している今の作品からは、その時の熱気は失せている。母里の作品を見ていつも不満が残るのはこの点だ。卑近な素材である鉄をタテマツッテは鉄は恥ずかしがりはしないか。そして鉄の自然にはむかうような設置法、つまり鉄の物理的安定を技術で獲得するような方法には無理を感じるのだ。今世界を支えているのは鉄である。鉄は過去の素材ではない。鉄の力を引き出すためにはもっとぶっきらぼうに、もっと日常に引き寄せて見せる工夫がいるのではないだろうか。たとえば今回の公開制作で見せたようなあのダイナミズムと簡潔な操作(それは現場に居合わせた人の心を確実に捉えたなにものかであった)をストレートに作品化するコンセプトを獲得したとき母里の作品は変わるはずだ。

ステラもまた8千トンプレス機を使用して彫刻の骨格部分を組み立てた。力のかけ方は3通り。引っ張り、押し潰し、そしてねじ曲げ。プレス機の能力をフルに使って3枚のステンレス・シートを加工したのである。その次のステップで制作上もっとも重要なコンセプトを実現する。骨格部分にスクラップを詰め込むという作業が始まったのである。実際に使う量よりもはるかに大量なスクラップをステラは光市のスクラップ・ヤードと戸畑の工場内で自ら選び、素形材工場に運びこんだ。本来何に使われていたのか誰にも解らない様々な面白い形をしたスクラップ群に感動するステラの高揚が、見ているものにも一緒に作業するスタッフにも伝わってくる。それらのスクラップをステラはまるで抽象表現主義の画家が絵の具をカンヴァスにのせて行くように、その場の直感で、ステンレス・シートを加工して作り上げた骨格部分に、自在に組み込んで行った。しかし何と言っても圧巻は、そうやって組み立てられた巨大な作品に灼熱のステンレスの溶湯をポーリングするという彫刻史上誰もやれなかったことを八幡製鐵所の技術で実現でき、それを公開したことである。その後、北九州市立美術館のアネックス・テラスに設置されたが、その折ニューヨークから前もって到着していた鋳造を主にした小型の彫刻を傍らに取り付けて全体が完成したのである。

篠原有司男は主に溶接技術と鋳造を用いて鉄のオートバイを作り上げた。現場は山九のメカトロセンターである。篠原にとっても溶接の技術陣にとっても初めての仕事であったはずだが、どうにかこなせたのは何と言っても、エネルギッシュな篠原の創作意欲と、それに呼応する蓄積された技術がこの街にあったからだろう。ただ残念なのは篠原に鉄という素材に対する反省が希薄であったことだ。いやわざと無視したのかもしれない。なぜなら篠原はあくまでもカード・ボードでの制作を基本として邁進したからだ。そしてそれをフォローできるだけの技術が山九にあった。そうして6メートルを超える巨大なケンタウロスのオートバイが出現したのである。制作途中のまだ未完成のオートバイ本体の威容をセンターでみたとき、正直言ってその迫力に圧倒されたものだ。なのに篠原は鉄固有の力をことさら隠すかのように、篠原本来の賑やかな色彩ではないものの、派手な色彩塗料で鉄を覆ってしまった。ところが鉄はそれに復讐するかのようにこのままでは立っていられないと主張する。そのため、ケンタウロスの脚でもなければ、オートバイのスタンドでもない、唐突な支柱を篠原は付けざるを得なかった。とはいえ、篠原の初めての素材、鉄との格闘がそのままこの作品のエネルギーとなって発散している。《粗暴で野蛮、女を追いかけ、酒に乱れる》ギリシャ神話の半人半馬はこうして20世紀末に蘇り、スペース・ワールドを見下ろせる造成中の高炉台公園の高台に設置され、かわりゆく鉄の街八幡を睥睨している。